雪にも台風にも負けない心は、インフラを守る仕事への誇りと責任感から



四国中の病院や公共施設、国の雨量レーダー基地などの「絶対に止められない電気」を守り続けている四国機電産業。同社で30年以上にわたり現場の第一線を走り続けてきたのが、営業保守部の藤澤康弘部長です。

長い年月の中には、台風や雪などの荒天のなかでの任務もあったそう。その経験から得たのは、信頼と看板を守ることの大切さでした。そして、同期入社である川西社長への思いも、語ってもらいました。

和食の料理人からの挑戦。川西社長との不思議な縁

――藤澤部長は、川西社長と同じく和食の料理人からの転職だったとか。どのような経緯で入社したのでしょうか。

前職の和食店で料理人として働いていたころ、常に水仕事をすることから手荒れがひどく、生活にも支障が出てきてしまったのです。「なにか別の職能を身につけられる道はないか」と考えを巡らせ、ものづくりや機械いじりも好きだったこともあり、機械技術職に興味を持ちました。しかし、私はまったくの未経験。どこか学びながら働かせてくれるところはないか探したところ、見つけたのが四国機電産業でした。

面接の際、当時の社長から「若い子を採用したい。誰か職を探している知り合いがいたら、一緒に入社したらどうだ?」と持ちかけられたんです。そこで思い浮かんだのが、前職の先輩料理人で、先に離職していた川西現社長でした。「きちんとした人だから会社も喜ぶだろうし、川西にとっても良い話のはず」と、すぐに連絡。その結果、一緒に入社することになりました。

――未経験から、どのように仕事を覚えていったのですか?

今でこそ丁寧な研修がありますが、30年前は「先輩の仕事を見て覚えろ」という時代でした。マニュアルもなければインターネットもないなかで、専門書を読んだり、協力会社の方に教えてもらったりしながら、とにかく必死で食らいついていきましたね。

未経験者には厳しい局面も多く、心が折れそうになったことは何度もありました。しかし同期の川西と、励まし合えたのが大きかったですね。もし一人で入社していたら、私は今ここでこうしてインタビューを受けていなかったかもしれません(笑)。川西とは、不思議な縁があると思います。

台風や雪にも負けない、インフラを守る矜持

――30年のキャリアの中で、特に印象に残っている思い出はありますか?

ある台風の夜のことはよく覚えています。大雨で市内が浸水するなか、「発電機が回りっぱなしで調子が悪いから、すぐに見に来てくれ」と緊急の呼び出しがありました。しかし、現場に向かうまでの道が完全に冠水していて、車が動かせない。仕方がないので、道具を持って20分ほど泥水をかき分けて現場まで歩き、なんとか設備を保全して、そのまま朝まで待機しました。

その他に社内で語り草になっているのが、徳島の雨量レーダー基地局の保全です。四国に2ヶ所しかない国交省の雨量レーダー基地局のひとつは、徳島の標高1,600mの山頂にあります。そこが停電してしまい、発電機を回し続けなければならなくなりました。レーダーが止まれば四国の天気予報や災害観測に大きな影響が出てしまいます。

発電機を動かし続けるには燃料の補給が必要ですが、土砂崩れなどで車が通れず、みかん畑にあるような小さな運搬車を使って燃料を運ぶしかありませんでした。運搬車では一度に運べる量が限られているため、発電機の燃料を満タンにするまでに1日半もかかるんです。中継所にある宿泊スペースで雑魚寝をしながら交代で燃料を入れ続けました。このときは会社全体が「絶対に電気を止めてはいけない」と一丸となっていましたね。

――あるときには、雪山を3時間歩いて修理に向かった社員もいると聞きました。

同じように、山の上にある雨量レーダーが故障したときのことですね。機械自体は深刻なトラブルではなさそうだったので、若手社員に修理を依頼しました。夕方に電話がかかってきて「めちゃめちゃ大変でした……」と報告を受けたんです。なんでも現場は記録的な大雪で、車で上がれる限界の場所がいつもよりずっと手前だったのだそう。そこで彼は、子どもの雪遊び用の小さなソリに重い工具や部品をくくりつけて引っ張りながら、雪山を3時間も歩いて登頂し、修理をやり遂げて帰ってきたと言うんです。

そこまで大変な状況になっていると想定しきれていなかったことが大変申し訳なく、心から労いました。後日その功績が認められ、国土交通省から表彰を受けたときは、彼の努力が認められて私もうれしかったです。あのような立派な表彰状は初めて見ましたね。

彼の中に「四国機電産業が任されている重要な設備だから、自分が直さなければ」という強い責任感と使命感があったからこその行動だと思います。上司として、そんな部下を持てたことを本当に誇らしく思いましたし、「インフラを守る」という当社のスピリットがしっかり若手にも根付いていることを実感した瞬間でした。

変わらない「信用」の重みと、ともに歩んできた社長への思い

――普段は回っていない非常用発電機。営業保守部としてお客様に、どのように必要性を説明しているのでしょうか?

「動いていないのになぜ費用をかけて点検しなければならないの?」とお客様に言われることも少なくありません。そこは本当に難しい部分です。

ただ、過去の震災や台風での大規模停電や、南海トラフ地震への備えといったリアルな話を交えて説明すると、多くのお客様が「いざというときの備えの重要性」に納得してくださいます。発電機が動かないことが一番ですが、万が一のときに「四国機電さんに点検してもらっていたから助かったよ」と言っていただけるよう、地道に必要性を伝え続けるのが私たちの役割です。

――四国機電産業で30年間を過ごしてきました。変わった点と変わらない点は何ですか?

変わったのは、圧倒的に「意見が言いやすくなったこと」ですね。最近は特に風通しが良くなり、若い社員たちもフラットに提案を言える環境になったと感じています。

逆に変わらない点は、初代から貫かれている「お客様の信用を裏切らない」という信念です。前社長の宮崎会長からも、折に触れて「信頼を裏切ることのないように」とアドバイスをもらいます。ミスが許されない厳しい世界ですが、そのプロとしての厳しさは、会社の不変の指針として確実に受け継がれています。

――川西社長は、藤澤部長にとってどのような存在ですか?

前職時代からずっと頼りになる先輩です。ただ、やはり社長となると役職が人をつくるといいますか、少し印象は変わりましたね。ここだけの話、若いころは、私も川西も会社の勉強会などに対して懐疑的な時期があったんですよ(笑)。しかし今は社長として人材育成のために自ら勉強会を企画し、若手の将来を真剣に考えている。頼もしく感じますね。長い付き合いだからこそ、川西がやろうとしていることの必要性は誰よりも素直に納得できます。

インフラを守る仕事は、地道な工程の積み重ねです。しかし、動かなかった機械を自分の知識と工夫で直し、機械が再び息を吹き返したときの楽しさと、社会を支えているという手応えは、この仕事でしか得られないものです。未経験からでも、焦らずにじっくり育てます。少しでも興味を持った方は、ぜひ安心して私たちの仲間に加わってください。


LATEST POSTS